『書き付け帳』は、3月1日をもって、http://kakitsuke.com/に移転いたしました。

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昨日、音楽の授業があった。
冬休み明けと言うことで、短縮授業。通常2時間の授業が、1時間になった。

音楽教師は、こう言った。
「今日は、新聞紙で音楽を作ってもらいます。」


突然渡される、1枚の新聞紙。かなり大きい。
タブロイド版だったら、扱いやすいだろうに…。

「パン!」
近くの男子が、紙鉄砲を作ったようだ。

それにしても、思いつかない。

気づくと、2本の筒を作っていた。
笛になるかな。とも思ったが、穴を開けても当然のように音はならない。
大きな筒に、小さな筒を入れてみた。
その時、「それでは、みんなに演奏してもらいましょう。」
席ごとに、6グループに分けられた。僕は、4グループ目だ。

1グループ目。方針は、まだ決定していない。
2グループ目。筒を入れたり出したりしてみるが、「スカッ」という軽い音しかしない。
3グループ目。「もう、いいや。」自暴自棄になる。
4グループ目。前に出る。

他の同級生は、破ったり、しわくちゃにしたり、紙鉄砲にしたりしている。

僕は、筒を、投げた。床に叩きつける。
何度か、繰り返して、投げる。踏んでみる。

音楽室の中には、呆然と失笑が混ざった、異様な雰囲気になっていた。

ここで、他のグループを論評できる心の余裕が出来た。
5グループ目。ハーモニーを奏でているが、既成概念から抜け出せていない。
6グループ目。もう、やけくそである。


終わった。
音楽教師は、こう言った。
「皆さん、音にはなってましたが、無難な感じがしましたね。」えっ、これでも無難なんですか?
「まあ一部、男子の中に無難ではない人がいましたが。」ああ、ちょっと安心。
「実は、こういうものが、現代音楽では大切なのです。」おお、褒められてんじゃん。
「現代音楽には、ちょっと変わったものがあります。」

「例えば、ジョン・ケージの作曲した4:33。4分33秒間の休符によって作曲されているピアノソロの楽曲です。」

おお、懐かしい響き。
1年ほど前(2004年1月16日)に、この曲をblogの記事にしました。(「沈黙の時間も芸術に。」)
そういえば、この後にトリビアの泉でも紹介されてたな。

無も、破壊活動も、だれかが「芸術だ」と言えば、芸術なのです。
今年は、そういう「芸術作品」を創り出していきたいな。


2010.3.6追記
 いまだに、時たま音楽を制作する事があるのですが、その度に「真面目に音楽をやっている人に失礼」と言われてしまいます。

 「こっちも真面目にやっているんだ」と反論したくなりますが、残念ながらそんな主張が通る世の中じゃないので、いつも言葉を呑み込むようにしています。

 タイトルの『才能は、認められないものなのか?』が、あたかも自分に才能があると勘違いしているようで、恥ずかしいですね。

ミンティア(MINTIA)というミント菓子がある。
一粒口にすると、スーッと爽快感が訪れる。

同じような商品に、フリスク等もあるが、僕はミンティアがいい。
それには、ちょっとした理由があるのです。

それは、ミンティアのケースの形状。
カードサイズで、薄型(厚さ7mm)なのです。

薄いから、どこへでも持ち歩ける。
僕の場合は、手帳のカードホルダーに入れております。
取り出し口が、ちょうど外に出ていて、取り出しやすいです。

授業中に眠気が襲った時、手帳から一粒。
これは、結構効きます。
まあ、授業中の飲食は認められてないので、こっそり口に入れるわけですが。
一気に、現実世界に引き戻されるのです。

というわけで、ここ1週間ほど持ち歩いているわけですが。
最初のうちは刺激が強かったのですが、いつの間にかミントに対する耐性が出来て、刺激が薄くなってきました。

そうなると、もう手遅れ。
より多くの刺激を求めるために、1回に口にする粒数を増やしていってしまうのです。
まあ、大量に食べ過ぎると腹を下すようなので、限度はありますけどね。

これで、何時でも何処でも集中力を回復させられるのです。
しかし、何を利用しても、勉強する時には集中できないのは、何故でしょうか…。


2010.3.6追記
 あれから5年、いまだにミンティアは手放せません。

 当時は「ドライハード」という商品を愛用していたんですが、今では「コールドスマッシュ」一本です。
 眠気覚ましには効果が薄いのですが、爽快感が心地良いんですよね。

 自分はタバコをやらないので、酒とミンティアが心の支えです。

今日、都立の推薦入試が行われました。
ということはもう、一部の「4月から後輩となる人」は、決まっているということですね。

ああ、あと2ヵ月半で高校2年生か。
今年度は、時間を無駄にしてしまった気がするな…。

「先輩」になるにあたって、気分を切り替えなければいけませんな。
誰も、こんな変な人を先輩扱いしたくないでしょうから。

今年はムダのない行動を心掛けようかなと思います。
動きは最小限にして、体力を温存させる。つまり、年中冬眠状態。
…これ、実行したら太るな。

まあねぇ、かっこつけたいんですよね。
これでも、多少は「キャーッ、先輩、かっこいい!」と言われたいという下心はあるわけです。
一応、16歳8ヶ月の青年ですから。
男の後輩も欲しいですね。「俺、先輩みたいになりたいです。」って。

というか、男の後輩が本当に出来るのかという心配がありますけどね。
というのも、我が放送部の現1年生の男女比が、1:7という状態なんですね。
部活というのは、2年生が主力な訳でありますから、来年度の主力男子部員は、僕ひとりとなるわけです。
先輩が女子部員ばっかりだと、当然入りづらいでしょ。

んー、心配だな。


2010.3.6追記
 まあ「類は友を呼ぶ」とはよく言ったもので、いまだにつるんでいる後輩は一癖や二癖有る連中ばかりなんですけどね。

部活というのは、2年生が主力な訳でありますから、来年度の主力男子部員は、僕ひとりとなるわけです。

 幸か不幸か、その年の4月には同学年の新入男子部員が入り、私のハーレム期は幕を閉じたので御座います。

 こんにゃろー、返せ!

今日、ある用事で、母校である小学校を訪れた。
4年…正確に言えば、3年10ヶ月ぶりだ。

去年、耐震工事をやったそうだ。
今年で、130周年。僕の入学した年には、120周年の集会をしていたことを思い出す。

時が流れ、確かに表面上には、衰えが見えていた。
しかし、根本的な所では、母校も自分も変わっていないのだという事に気づいた。

基本的な設備は、ほとんど変わっていない。
校内を巡っていると、こんな貼り紙を見つけた。

「公衆電話は撤去されました」

なんてこった。
公衆電話が撤去されたのか。

あの公衆電話には、思い出があった。
普通の、硬貨・テレホンカード式の緑の公衆電話。
友達と、110番・119番用の赤いスイッチを押しあった、あの日。

あれって、押すだけでは、警察署や消防署につながらないんですよね。
スイッチを押すことによって、硬貨やカードを入れたのと同じように、回線が開くんですね。
そこで、無料で(まあ、どこからかけてもタダだけどさ。)110番や119番にかけることが出来ると。


その、思い出の公衆電話が…。
確かに、全国の学校の公衆電話が撤去され始めているという話は聞いたことあるけどさ。
(「公衆電話が学校から消える?」 2004年3月8日掲載)

なんだか、寂しくなった、16歳の冬でございました。


2010.3.6追記
 財布からテレホンカードが消えてから、どれだけの時間が経ったのでしょうか。
 ノベルティーの代表の座もクオカードに引き渡してしまった今、テレホンカードの社会的地位はどうなってしまったんでしょう。
 一昔前までは「テレホンカードをNTTの窓口に持っていくと、月々の通話料に充てられるよ!」っていうのが雑誌の節約ネタの代表例でしたが、マイラインやIP電話が普及した今でも、その技は通用するのでしょうか。もっとも電話局の窓口自体が少なくなったんだよな……ケータイ社会、おそるべしです。