『書き付け帳』は、3月1日をもって、http://kakitsuke.com/に移転いたしました。

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あけましておめでとうございます。

とは言ってみたけれど、この言葉あんまり好きじゃないんだよなぁ。
だって、別に年が明けた事がそれ程おめでたく感じないんだもの。

「無事、年を越せた事に対して"おめでたい"と言ってるんじゃないの?」

確かに、それは一理ある。
でもさ、「無事に今日を迎えられた事に対して」の方がめでたくないかな?

夜寝てさ、そのまま永久の眠りについてしまうかもしれない。
そういう不安定なものでしょ、生命って。


だから、私は無事夜明けを迎えられた事を、日々めでたいと思う。
年始だけではない。毎日が「あけましておめでとう」なのです。


毎朝、「おはよう」の替わりに「あけましておめでとう」と喜び合えたら、いいなぁ。

「あけおめ」という、もはや聞き慣れた略挨拶に対して、
「きょうよろ」(今日もよろしく)という、新しい略挨拶を返す。


こんな一日の始まりは、いかがでしょうか。


2010.2.6追記
 この頃は、教訓じみた文章が多いですね。恥ずかしながら、人生を達観した気になっていました。
 「中2病」ならぬ「高3病」とも言えるこんな文章から、2007年はスタートを切りました。

明日の時間割。

1・2限 新春講話
3・4限 通常授業
5・6限 自宅学習(3年生)

通常授業が一応あるんだけど、私の選んでいない教科選択枠だから、授業が無い。
極端な話をすれば、登校しなくてもいいのだ。

私が、もうちょっと出欠席に対して寛容だったなら、当然サボるんだろう。
だってさ、冬休みが一日のびるんだよ。サイコーじゃん!


…だからと言って、せっかく手にしようとしている「皆勤」の二文字をみすみす捨てるわけにもいかない。

「カイキン」ですぜ、「カイキン」。
まずね、ひびきが良いね。
さまざまな漢字変換をさせる響き。

「皆勤」、「解禁」、「開襟」。
この三つだけで、ひとつの人生を解説出来ちゃうもん。

自己を押さえ込み、禁欲的で規則正しい生活で「皆勤」を続けていた人間が、
ある日突然、何かを建機契機(修正/21:45)に「解禁」し、その開放感が「開襟」として外見にも現れる。

んー、微妙だな。
とりあえず、私は依然として出欠席に厳しいので、明日は学校に行く予定です。


2010.2.6追記
 いま思うと、「カイキン」って、言葉の響きよりも、カタカナで書いてあるって所が良い気がする。
 「ケロリン」とか「ハクキンカイロ」とかさ、古き良き匂いがしてくる所が特に良い。

 実際、化学工業の会社とかにありそうだもんな。「カイキン」って。

今朝3時過ぎ、突然目が覚めた。

とっさに起き上がって、待つこと数秒。
本棚がガタガタと音をたて始めた。
やっぱり、地震だ。

「やっぱり」と書いたのには意味がある。
初期微動(P波)で起きられるのが、私の自慢なのだ。


この習性は、健康のバロメータにもなっている。
疲れりゃ、鈍感になるのは当たり前だからね。

夜中に地震が起こった事を、翌朝のニュースで知ると、「ああ、疲れてるんだな」と。
そうなったら、その日はなるべくゆったりと過ごす。勘を取り戻すために。

だってさ、野生の勘が衰えているのは怖いじゃない。

私自身は現代の社会に生きているから良いものの、これからの長い歴史の中では人類が少数派になるかもしれないでしょ。
そうなったら、「野生の勘」がないと生存競争には勝ち残れないよ。あーこわい、こわい。

すこしでも、人類の絶滅を遠ざけたいんです。

そのために出来る事って、なんだ。
とりあえず、野生の勘を忘れないってことじゃないのかな。


2010.2.6追記
 あれから3年、今では全く地震を感知しない体になってしまいました。

 なんでだろう。常に胸が震えているからかな?
 ……ごめん、なんでもない。

都会には誘惑が多い。


「この食品を食べれば、ダイエット出来ます!」

「この資格を取得すれば、高収入が手に入ります!」

「この高枝切りバサミを購入すれば、こちらのミニバサミもお付け致します!」

「このアンケートにお答えいただければ、こちらの商品券を差し上げます!」

「この桐ダンスを購入して頂いた方に、今ならもう一棹(ひとさお=タンスの単位)お付け致します!」


なんだか、みんな似てる。私も真似してみよう。

「このチャーハンを注文された方には、ピラフも差し上げます!」
……んな、ご飯ものばかりは要らない。

「この老人ホームに入所された方には、特別にお葬式の費用をサービス致します!」
……縁起でもない。

「この給食を召し上がられたならば、ご自宅まで給食費を回収に参ります!」
……宅配便の無料集荷サービスの考え方。徴収率アップ確実か。


んー、難しい。
とりあえず、「言葉には気をつけよう」という中途半端な結論を出すのであります。


2010.2.11追記
 ちょうど給食費の未納者が問題になっていた時期だからと、無理矢理絡めてはみたものの、なーんか中途半端。
 なんだかんだ言って、付加価値って大事だよね。っていうお話でした。

「女性は”産む機械”」―柳沢厚生労働大臣の発言が、野党とフェミニストから強い反発を産んでいる。
この言葉を膨らませれば、男性は「産ませる機械」になるのでしょうか。
でも、機械が人間を繁殖させたと言う話を、私はまだ聞いた事がありませんよ。


いまの世の中、身の回りに在る”機械”は、たいていプログラミング言語の上に動作している。

すべてが、0と1で構成される、2進法の世界。
数値が絶対とされて、あいまいな領域は排除される世界。
ある意味、人類の誕生という神秘的なものと正反対の場所にある。

いわば数式を神として崇め、すべての事象は科学的に解明できると信じている人々の事を、仮に「数教信者」と呼ぶ事にしよう。
この「数教」の考えでは、出産すらも科学的に解明でき、生物ですら数の前では機械同然であるとする。
そんな「数教」信者がはびこる世の中では、どのような弊害が起こるのか。その謎を解くカギは「数教」という言葉の中に潜んでいる。

「教」の へん「孝」には、「老人を背負う子供」という意味がある。
そして、両方の漢字に共通する つくり「攵(のぶん)」には、「棒でたたく」という意味がある。

その点を踏まえて、「数教」という熟語の原義は何かと考えると、「米を担いだ女性と老人を背負った子供を叩く」という事になる。
これは、不況の煽りで家計を支えるようになった女性と、少子高齢化の影響で負担が増えた子供たちにムチを打つという、現在の日本を的確に表す言葉と言える。

おいおい、なんてこった。こんなアプローチで分析してみると、まったく論理的じゃないけれど、なんだか納得出来る気がする。

科学的な解明や論理的な発想のみ求めたら、こんな飛躍した結論にはならないだろう。
これから私は、アンチ「数教」として、世の中の”あいまいな部分”と”こじつけ”の魅力を布教していきたいと思いますよ。

※2007/2/5 『数教―「産む機械」発言に潜む、科学至上主義。』から改題


2010.2.11追記
 典型的な言葉遊びの文章ですね。
 ただ「曖昧を排除すると、人を苦しませる結果を生む」ってのは、案外正しいかも。